起きてたの?

(中文)
一天,我和几个“妈妈朋友”带着孩子出去玩儿。路上孩子睡着了,我想,睡着了正好,坐车的时候就不会闹了。结果上车才五六分钟,孩子就醒了,我随口说道:「起きたの?」不过旁边的“妈妈朋友”却说:「起きてたの?」
虽然这两种表达只差一个“て”字,但是意思却差很多。我说「起きたの?」是因为受汉语的影响。汉语这时候一般说,“你醒了啊”。但在日语中,「起きたの?」一般是妈妈一直看着孩子,亲眼看到他醒的那一瞬间时用。而「起きてたの?」的话,一般是没有看到孩子醒的那一瞬间,而是突然发现孩子不知什么时候已经醒了时用。

(日本語)
ある日、数人のママ友達と子供を連れて、遊びに出かけました。途中で子供が寝てしまいましたが、寝てくれてちょうどよかった、電車に乗るとき騒がれずに済むから、と思いました。しかし、乗車してわずか五、六分で起きてしまいました。私は「起きたの?」という言葉が自然に口から出ましたが、隣のママ友達は「起きてたの?」と言っていました。
この二つの表現は、たった「て」一文字の差で、意味は大きく違います。「起きたの?」を言ってしまったのは中国語に影響されたためです。中国語はこの場合ふつう、“你醒了啊”と言います。しかし日本語では、「起きたの?」は、一般的に母親はずっと子供を見ていて、自分の目で子供が起きた瞬間を見たときに使います。一方、「起きてたの?」の場合、一般的に子供が起きた瞬間は見ておらず、子供がいつの間にか起きていたことに突然気づいた時に使います。

靴を「脱ぐ」じゃ、だめ?

(中文)
昨天从外面回来,一岁的孩子鞋还没脱就摇摇摆摆地往屋里跑。我急得叫了起来,“まだ靴を脱いでいない(鞋还没脱呢!)”。老公(日本人)听了后,说“その日本語ちょっと可笑しいよ。「脱ぐ」じゃなくて、「脱がす」でしょ”。

听他这么一提醒,我也马上意识到自己说的日语有问题。就像“穿衣服”,自己穿说“着る”、给别人穿叫“着せる”。我把自动词和他动词给混淆了。因为中文里面没有这样的区别,不管是给别人穿也好,给自己穿也好,都是“穿”,所以就算心里明白,一着急还是会说错。

(日本語)
昨日外から帰ってきた際、1歳の子供は靴もまだ脱がされていないのに、よろよろと部屋の中へ走っていきました。私は焦って「まだ靴を脱いでいない」と叫びました。それを聞いた主人(日本人)が、「その日本語はちょっとおかしいよ。脱ぐじゃなくて、脱がすでしょ」と言いました。

そういわれてみれば、私もすぐ自分の言った日本語に問題があることに気づきました。「洋服を着る」と同じように、自分で着るのは「着る」、人に着せるのは「着せる」といいます。自動詞と他動詞を混用してしまったわけです。なぜなら中国語にはこのような区別がないからです。人に着せるのも自分で着るのも、全部“穿”。だから心の中でわかっていても、焦るとやはり間違ってしまいます。

同形異義語

(中文)
看到“妖精”这个词,我想中国人可能马上会想到《《西游记》中的很多美女妖怪来。这些美女妖怪们要是吃了唐僧肉,就可以长生不老或者成仙,所以她们使出浑身解数,希望能迷惑住唐僧。
而日本人一看到“妖精”这个词,则可能会联想到森林中可爱的精灵或是美丽的童话世界。
因此,在日语的小说或是杂志上看到“妖精”这个词时,我常常感觉很别扭。因为它实在是和中文的含义相去太远了。

(日本語)
「妖精」という言葉を見かけると、中国人は多分すぐに「西遊記」の中に出てくる多くの美女の妖怪を思い浮かべるでしょう。それらの美女の妖怪は三蔵法師の肉を食べると、不老不死になるか仙人になれるので、彼女たちは渾身の技を使い、三蔵法師を誘惑しようとします。
一方、日本人は「妖精」という言葉を見かけると、すぐに森の中の精霊か美しいファンタジーの世界を思い浮べるでしょう。そのために、日本語の小説や雑誌で「妖精」という言葉を見かけると、私は大変違和感を覚えます。なぜならそれは中国語の意味とあまりにもかけ離れているからです。